建設国債と赤字国債

最近は国債の総額ばかりが話題になって建設国債とか赤字国債というのは

すっかり話題にならなくなりましたが、私が子どもの頃は、

建設国債は将来の資産を築くための国債だから建設国債は発行しても良くて、

赤字国債は将来にツケを回す国債だから赤字国債は発行してはいけない、

と言われていました。

 

高度成長の時代には建設国債で作るインフラが成長を加速する役割を果たしていましたし、

日本が戦後復興を果たしたことを目に見える形で表していました。

また、赤字国債の発行を忌避する姿勢はムダな税金の支出に枠をはめる役割も果たしていて有益でした。

 

高度成長の時代が終わる頃にはインフラの整備が進んだので、さらに時代が下ると

建設国債は不要不急のダムとか費用対効果が怪しいスーパー堤防などを作るために使われるようになりました。

この頃には

「国が行う公共工事はムダな公共工事、地方が行う公共工事は必要な公共工事

と揶揄されるようになっていて、国の公共工事がムダな工事の代名詞になっていました。

 

時代の流れをすごく大雑把に書きましたが、

こんな感じで高度成長期には有益だった建設国債が時代を下ると税金を浪費する温床になってしまいました。

 

逆に赤字国債を忌避する姿勢は、高度成長期には有益でしたが時代が下ると、

バブル崩壊後の経済復興を邪魔したり、コロナ禍の経済復興を邪魔したり

といったように赤字国債を忌避することによる弊害が出るようになりました。

 

こういうことで私は建設国債赤字国債を分けることは間違いだと考えるようになりました。

昔の経済学が未熟だった時代は建設国債赤字国債という指標は分かり易くてそれなりの役割は果たしたと思います。

しかし今は国債の総額が大きくなりすぎて建設国債赤字国債という概念もなくなってしまいました。

 

私は、東京オリンピック大阪万博のようなムダな箱物の建設に足枷をはめる必要があると思ってます。

また。AIの研究開発のような学問分野には税金をばらまく必要があると思っています。

 

そういうことができるように昔の建設国債赤字国債に変わるような指標が欲しいと思っています。

経済学が発達した現代ならそのような指標を作ることができるような気がします。

この点で経済学者の努力と活躍に期待しています。